現代社会にとって深刻な脅威となりつつある様々な精神疾患の発症リスクが、脳の発生過程の微細な障害によって高まる可能性が注目されている。脳発生の微細な異常が、その後の脳機能に影響を及ぼすのはなぜか?それを理解し、発症を予防するためには、発生過程における擾乱が脳の形成や機能にいかなる影響を及ぼすのかを、そのメカニズムを含めて明らかにする必要がある。本プロジェクトでは、その解明を目指す。
自閉スペクトラム症や統合失調症の脳において、大脳新皮質の白質に存在する神経細胞数の増加が観察されることがある。これまでに我々は、精神疾患多発家系の解析で発見された分子Disrupted-in-Schizophrenia 1 (DISC1)をマウスで阻害すると、大脳新皮質や海馬における神経細胞移動が障害され、白質内の神経細胞数が増加することなどを見出した(Tomita, et al. Hum. Mol. Genet., 2011他)。また、マウスの体性感覚野で神経細胞の移動を人為的に障害して白質内に神経細胞が溜まった状態(heterotopia)を作成してみたところ、不思議なことに体性感覚野からは遠く離れた前頭前野の機能が低下することを発見した(Ishii, et al. J. Neurosci., 2015)。神経細胞の配置異常が、高次機能において重要な領域である前頭前野の機能低下を引き起こし得ることは、精神疾患の病態解明にも重要なヒントを与えてくれる可能性があり、興味深い。
さて、ヒトの超早産児では、2〜5割という高い確率で生後に認知機能障害を伴い、後に神経発達症(発達障害)を合併しうることが知られている。しかしながら、未熟で生まれるために生じる障害なのか、あるいは超早産児が経験する脳虚血等が影響しているのかは不明であった。そこで我々は、マウスの胎生期に一過的に虚血を誘導して正期産で生まれた子を調べたところ、脳に神経細胞移動の障害や白質内の神経細胞数の増加を生じ、認知機能障害を発症することを見いだした(Kubo, et al. JCI Insight, 2017)。また、虚血を経験しても生後の認知機能障害を予防できる方法を見出した。今後、その発症予防の機構を明らかにすることによって、超早産児における認知機能低下等の発症を予防できる手法を見つけだすことができるかも知れないと期待している。
一方我々は、マウスの発達期の前頭前野にあらかじめ抑制性神経前駆細胞を移植しておくと、統合失調症様の症状を誘発する薬物を投与しても発症しなくなることを見出した(Tanaka, et al. J. Neurosci., 2011)。この発症予防効果を得るためには、移植細胞は抑制性細胞である必要があり、かつ移植部位は前頭前野である必要があることを発見した。また、前頭前野に移植すると、他の領野への移植時と異なり、移植された前駆細胞からReelin陽性/ソマトスタチン陽性の特殊なタイプの抑制性神経細胞が多く分化してくることを見出した。Reelinを脳室内に注入するだけでも発症を予防できる可能性も見出した(Ishii, et al., Neurosci. Res., 2015)。Reelinは統合失調症や自閉症などとの関連を示唆する報告も多く、興味深い。